
あなたは、クビをくくった経験、
ありますか?
もちろん、ないですよね。
ちょっと想像してみてください、、、
すごーく、苦しそうですよね。
子供のころ、母親方の
祖父母と叔父さんは
和菓子屋さんをやっていました。
羽振り良く万札がギューギュー詰めに
なっていたお年玉を何度も貰ったほどです。
やがて隣接した不動産を買い増して
和菓子屋事業を広げて行きました。
ところが買い増した不動産の
借金返済に行き詰まり、
悪いお金に手を出してしまいます。
ついには叔父さんはクビをくくることに
なってしまいました。
私の父親はその保証人でした。
肩代わりした借金を返済していった
苦労も私は知っています。
その父自身もバブル時に
ワンルーム投資で多額の負債を抱え、
処理に苦労したのでした。
そんな父親、母親が不動産に
苦しめられてきた姿を見ながら
私は大人になっていったのでした。
そんなこともあり、
私は手堅く国立大学に進みます。
人に関わるのが苦手だったので
迷わず理系を選択。
なんとなく選んだ建築学科を出て、
これまた手堅く建築技術者
サラリーマンの道を歩み始めました。
ハウスメーカーでのアパート設計の
仕事はお客さんとは会う必要がない
自分と向き合うコツコツした作業です。
設計のコツを覚えると私が設計した
アパートが次々と売れるようになり、
働く喜びを実感するようになって
いきました。
やがて平成大不況がやって来ます。
建築業界はただでさえ過酷な
長時間労働だったものがドンドン
加速していきました。
私は疲弊し切り、やがて
自分を見失ってしまいます。
精神的にもかなり追い詰められてしまい、
自分の「時間」を作る為、
好待遇の給料「お金」を捨て
転職を決意します。
なんとか入社できたのが
長時間労働が無さそうな
不動産会社。
しかし給料は激減。
40%ダウン。
お昼に使えるお金が
500円までになりました。
新しい不動産の仕事は自分の
「時間」が出来たものの、
今度は「人間関係」に
悩まされます。
地上げ交渉、欠陥マンション対応
と言う過酷な対人交渉の
連続だったからです。
円形脱毛症、食道炎をも患い
「健康」を損なってしまいます。
生活も荒れ、離婚を経験。
猛烈な孤独も味わいました。
そんなどん底のとき
出会った女性と再婚。
義理の父親は
サラリーマン大家でした。
大人しそうな中に、余裕のある
振る舞いにエラく感心しました。
自分も大家になる、
不動産投資をやる、
と決意します。
しかし、しかしです。
貯金がありません。
なぜなら「時間」を得て
「お金」を失ったからです。
さらには家賃収入で
育った妻からは、
「大家なんかカッコ悪い!」
「サラリーマンだけ地道にやっていればいいのに!」
と猛反対され悶々とする
日々を送ります。
しかし私には「時間」がありました。
その「時間」を使って
始めた副業でコツコツ貯めた貯金を
元手に生まれ育った千葉県松戸市に
小さなアパートを何とか
手に入れることが出来ました。
アパートからはコツコツ家賃が
貯まっていきます。
それを間近で見たは妻は
反対しなくなりました。
コツコツ貯まったお金を
更に元手にしもう1棟、
今度は少し大きめの物件を
買うことが出来ました。
小さなアパートを手に入れて
2年が経っていました。
不動産を2棟も自力で買えたことが
私には大きな自信になりました。
コツコツ始めた副業も何とか
やれそうな気がしてきました。
そこで思い切って
サラリーマンを卒業。
独立起業したのです。
起業出来たのは、
過酷なサラリーマン生活で得た
不動産に関わる様々なものを
事業の核にしたからです。
人生わからないものです。
29年の過酷なサラリーマン生活を卒業し、
失った
「時間」と「お金」、
「人間関係」と「健康」
と言う4つの幸せを
手に入れることが出来ました。
成長し続ける人生は
サラリーマン生活よりも
10倍エキサイティングです。
100倍自分らしく生きられる。
しかし山あり谷ありです。
それを乗り越えて行けるのは、
不動産があるからです。
何度か訪れた危機を
乗り越えられたのは
不動産のおかげです。
気がつくと父親、母親を苦しめた
不動産が今では大切な
「宝物」となっていたのです。
私の使命は過酷なサラリーマン生活で
苦労している数年前の自分と
同じ体験をしている仲間に、
不動産投資をきっかけに羽ばたいて欲しい、
そして必ず羽ばたける!
と言うことを、伝えることです。
具体的にはこちらで伝えています。【無料】
http://masuyamajuku.com/lp2/
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