私には90歳目前の父がいます。
少し屈折した私の雑草魂は
父との関係から産まれました。
    
褒められた記憶はたったの一度。
かなりムリ目の高校に受かった時、
「まあまあ、だな」と、一言。
    
存在価値は基本ゼロ評価。
成績が良くて初めて
そこに居てもよい。
     
「お前の意見は?
と言われるまで口を開くな 」
    
ツメタイ氷の上を
ソロリソロリ、、、歩く感覚で
毎日を生きていました。
    
自己無価値感を常に持った幼少期。
結果を出さないと居られない私。
存在するだけでは居心地が悪い私。
    
中学高校大学とそれが
磨きをかけられていったのでした。
    
人一倍結果にこだわる。
結果が出ないと平常心でいるのが
とてもとても苦痛になる。
    
カラテをやっても。
ゴルフをやっても。
スキーをやっても。
     
楽しむより結果を出す。
認められることに執着する。
     
ビジネスも。
不動産投資も。
    
数字に徹底的に執着する。
はそこから来ているのです。
    
今となってはそれか私の持ち味。
生き伸びて来られたのは
そんな結果執着主義の
おかげなのです。だから
    
「人生を楽しんで生きてもよい」
    
ある人から言われたとき
とてもとても驚きました。
腰が抜けるほど驚いた。
    
「イヤイヤ、そんな話がウマすぎる人生、あるわけないよ」
    
そう思いながらも
もしもホントの本当に
    
「人生を楽しんで生きてよい」
    
のだとしたら、それは、
超絶スゴイことだ!
そんな人生があったら生きてみたい。
    
気持ちはついていかないが
そう生きられるよう
何とか頑張ってみよう 笑
    
と、最初は力んで青筋立てて、
楽しむ人生を選択してみる。
それにトライしはじめた。
    
それが30歳の頃でした。
    
「人生は楽しむためにある」
と言う考えはマジに驚きでしたので
なかなか私には馴染みませんでした。
    
30年も自己無価値感を抱え
生きて来た私が何をキッカケに
「人生、楽しんでみようかな?」
と思うようになったのか?
    
来週の土曜日に続きます。
    
不動産投資建築家
一級建築士 増山大